ひとつの世界にふたつの地図

One World, Two Maps (thoughts on the Wikipedia debate)

中学の社会科で地図の種類を何種類か学びましたが、距離と方向が正しいが、円形をしている地図(ここではラジアルと表記。正式な日本語名はわかりません) 確か航空機などで使用されたと記憶してます。それから一般的に目にする長方形型(ここではデカルトと表記。正式な日本語名はわかりません)距離や、面積など実際の対比とはことなるが、場所の配置などが分かりやすいという利点があったと記憶しています。

これになぞって思考の派閥をラジアル派とデカルト派に分けて考察しています。


すなわちラジアル派は地図同様、方向性や自分がいる位置からどれだけ離れたかという見方が得意、すなわち現状からどのように変化させれば良いかという考え方。一方デカルト派は全体的に様々な良いものがちらばっていて、グリッドをここか、あそこかとつまみぐいよろしく良いものを探していこうという考え方。

I am a radial person; danah is a Cartesian person. Cory Doctorow is a radial person; Nicholas Negroponte is a Cartesian person. Richard Gabriel is radial; Alan Kay is Cartesian. This is not a question of technology but outlook. Extreme Programming is a radial method; the Capability Maturity Model is Cartesian. Open Source groups tend towards radial methods, closed source groups tend towards Cartesian methods. It’s incrementalism vs. planned jumps, evolution vs. directed labor.

テクノロジーの違いというよりも見解の違いによってこの二つの派閥に人々は分けることができるとし、Open Sourceはラジアル派、Closed Sourceはデカルト派だという。

When we make mistakes, radial people tend to overestimate the value of incrementalism, and to underestimate the gap between local and global maxima. When they make mistakes, Cartesian people tend to underestimate the cost in moving from reality to some imagined alternate state, and to overestimate their ability to predict what a global maximum would look like.

誤りをおかしたとき、
ラジアル派は変化によってもたらされる価値を過大評価しがちで、現状と将来との差を過小評価しがち。
デカルト派は変化に伴うコストを過小評価しがちで、将来を見通す自分たちの力を過大評価しがち。

<Genpakuのつぶやき>果たして言うとおりなのか疑問は残るが、地図になぞらえたこの考え方は面白い。ネタの一つとして覚えておいて損はないと思う。それから本文の趣旨はWiki派の筆者がそれに反する者(名指しで)に対しての反論である。このように思想の派閥を設定してその定義をし、論理的に反論するやり方のほうが実は興味深い。興味ある方は是非一読をお奨め。